オザケン

昔からファンなので、小沢健二氏はよく夢に出てくる。直接言葉を交わしたり、聴いたことのない新作が聴けたりする。夢で聴く曲は、たいてい、現実のどの曲よりも高品質で複雑精巧できらきらしていて、まさに夢のような曲なのだ。

今回は、野外コンサートで、『LIFE』の1曲によく似た新曲か、歌詞だけ替え歌して長くしたような曲をやっている。雰囲気は「アルペジオ」にも似ていた。つまり、今回は珍しく、みんなで声を合わせて歌うのに向くような、素朴で陽気で親しみやすい感じのやつで、上述の「夢のような」複雑な曲ではなかった。

と書いていて思い出したけど、こないだの「春の空に虹をかけ」で聴いたいくつかの曲は、それ以前に夢で聴いていた「複雑精巧できらきらした」非実在の曲のイメージにかなり近かったと思う。ということは、今回の夢で聴いた「さよならなんて云えないよ」っぽくも「僕らが旅に出る理由」っぽくも「アルペジオ きっと魔法のトンネルの先」っぽくもあるけどそのどれとも違う、何番も何番も続くみんなで歌うような曲も、そのうち本人が現実化してくれるかもしれない。

さて、そんな平和な曲をみんなで歌っているとき、なぜかオザケン本人も客席で、ぼくのすぐ前の地面にすわっている。かれは隣の友人や知り合ったばかりの人といろいろ話していて、ぼくも少し勇気を出して話しかけ、会話に加わる。たしか何らかのコンシューマー機の、ゲームの話だった。憧れのスターにもそんなオタクっぽい一面があるのだ。話してる最中にTシャツの隙間からつるっとしたおなかの肉が見えたのを覚えている。意外と脂肪があった。このように、小沢氏が夢に出てくるときは必ずと言っていいほど、「意外とかっこわるい」「意外と卑近な」ところがあって、こちらと対等な感じで仲良くなる。スターを自分のところまで引きずり下ろしたいという願望なのだろう。