勉強ができない人の共通点

実はアルバイトで塾講師をしていて、結構な年数になる。そこで気づいたのだが、勉強ができない子にはわかりやすい共通点がある。

それは、勉強を「勉強」だと思ってやっているということだ。

そういう人たちにとっては、友達とトランプをするのは「遊び」だから楽しいけど、数学の問題集で順列組み合わせの問題を解くのは「勉強」だから、それはもう、つらくてつらくて仕方がないということになるようなのだ。いま解かされているその「数学の問題」が、たまたま、ちょうど先の週末に友達とカードゲームに興じていたときと同じに、所定の手札から特定の条件を満たす役札を出す全ての可能性を確定するという作業だったとしても、それが「おなじだ」とか「なんか似てるかも」ということにすら、一切、思い至らない。遊びは遊び、勉強は勉強、それは2つの隔絶した正反対の世界なのであって、そのあいだにはどんな小さな関連すらあるわけがない、というぐらいの勢いなのだ。

どうしてそういうふうに話をややこしくするのだろうか。その手の生徒に限って、うちの塾に来る前にナントカ・ゼミナールやらカントカ教室を歴訪済みで、そこで叩きこまれ(そこね)たらしい珍妙なメソッドを得意げに披露する、というよりもそれに囚われているみたいに譫言のように繰り返す。「そのパターンの問題はこう解く、こっちのパターンならこう、あんたがいま出してきたそんな問題は公式集に載ってないから、考えるのも嫌だ」という具合で、全てが何か神聖な掟に則った儀式であるかのように、意味を問うてはならない、ただそうしろ、という感じなのだ。何という名前の宗教なのか、聞いたことがない。

授業をするこっちの身にもなってほしいという話だ。せっかく「今日はあの小学5年生の可愛い男の子と古典力学の話をするぞ!」とワクテカ文明していたのに、当の相手ときたら「あーあ、夏休み初日というのに、勉強だ。塾だ。最悪だ」という感じで、師弟間のテンション格差もはなはだしい。

ほんとにもう、そういうやつは、何をやらせてもダメに決まってる。例えば、麻婆豆腐を作るときに一番大事なことはおいしい麻婆豆腐にすることであって、それが飲食店の業務としてやっているのか、家族に食べさせるためか、腹が減ったから自分用に作るのか、ゲームも音楽も飽きたからちょっと新しい趣味でやってみるのか、そんなことは関係ない。豆腐を下茹ですること、豆板醤をまず炒めること、お玉の背で優しく混ぜること、大事なのはそういうことであって、仕事でやってるのか遊びでやってるのかなんてどうでもいい。麻婆豆腐は麻婆豆腐だ。それを「どうせ仕事だ」とか「どうせ趣味だ」なんて思うのは、麻婆豆腐に失礼というかせっかく麻婆豆腐をやってる甲斐がない。

ただ図形の面積を求めるとか文章の趣旨を言い換えようとしてるだけなのに、それが「勉強」だからとか「塾」だからとかいうだけで嫌がる人(男子小学生に多い)も、「公式」と言われた記号の羅列を意味も分からずきれいに書きとめて何か「勉強」という殊勝なことやった気になる人(女子中高生に多い)も、ほんと、そんな調子じゃいつまでたっても成績なんか上がらないし、あんたの人生そんなことでいいのかと思う(こっちは商売なので、そうは言わないけど)。

勉強なんかどうでもいいと思うこと。これが、勉強のコツです。