土曜日に見た夢とそれで考えたこと

土曜の朝のは、映画やアニメをモチーフにした参加型謎解き冒険遊園地の夢だった。先月USJとリアル脱出ゲームに行ったのが影響しているのだろう。この2つを混ぜたうえで、もっと複雑で大規模にしたようなゲームだった。屋内・屋外、フィールドを縦横無尽に移動し、行く先々で出会う人々と協力し、また競い合い、知恵を絞って議論し、さらに体を使って問題を解決してゆく。非常に総合的で大規模なゲームであって、終わりというものを考える必要すらほとんどないくらいだ。ディティールで覚えているのは、例えば、ある部屋で手に入った、大きな袋に詰められたたくさんの紙製のつぶつぶは、「サンドスター」ということになっていて、それを持っていくとその先の何らかの謎解きの鍵になるかもしれないというアイテムだった。

この夢を見て思ったのは、人が全力を振り絞って楽しいことをするとはどういうことなのか、ということだ。僕は、本当は、この夢で見たようなことがしたいのだ。音楽の演奏とか、サーフィンとか、ドイツゲームとか、作品の鑑賞とか、大人がする「趣味」と呼ばれているものはいろいろあるけれど、それらは所詮趣味にすぎない。鑑賞なんてただの消費だし、演奏やらスポーツといった活動をしてみても、それは本職の人のまねごとであって、現実の世界を動かすわけではない。全力で楽しむには、「ごっこ」ではだめだ。わくわくするような冒険の主人公は、「楽しもう」なんて思ってそれをやるのではなく、やむをえない重大な事情のために冒険するものだ。だから、大人が本気で楽しい思いをするには、重要な仕事に全力で取り組むしかない。子供が「ごっこ」の遊びをあんなに全力で楽しめるのは、子供という存在自体が大人に対する「ごっこ」の位置にあるものであって、そうであることがかれらの本職だからだ。