土曜日に見た夢とそれで考えたこと

土曜の朝のは、映画やアニメをモチーフにした参加型謎解き冒険遊園地の夢だった。先月USJとリアル脱出ゲームに行ったのが影響しているのだろう。この2つを混ぜたうえで、もっと複雑で大規模にしたようなゲームだった。屋内・屋外、フィールドを縦横無尽に移動し、行く先々で出会う人々と協力し、また競い合い、知恵を絞って議論し、さらに体を使って問題を解決してゆく。非常に総合的で大規模なゲームであって、終わりというものを考える必要すらほとんどないくらいだ。ディティールで覚えているのは、例えば、ある部屋で手に入った、大きな袋に詰められたたくさんの紙製のつぶつぶは、「サンドスター」ということになっていて、それを持っていくとその先の何らかの謎解きの鍵になるかもしれないというアイテムだった。

この夢を見て思ったのは、人が全力を振り絞って楽しいことをするとはどういうことなのか、ということだ。僕は、本当は、この夢で見たようなことがしたいのだ。音楽の演奏とか、サーフィンとか、ドイツゲームとか、作品の鑑賞とか、大人がする「趣味」と呼ばれているものはいろいろあるけれど、それらは所詮趣味にすぎない。鑑賞なんてただの消費だし、演奏やらスポーツといった活動をしてみても、それは本職の人のまねごとであって、現実の世界を動かすわけではない。全力で楽しむには、「ごっこ」ではだめだ。わくわくするような冒険の主人公は、「楽しもう」なんて思ってそれをやるのではなく、やむをえない重大な事情のために冒険するものだ。だから、大人が本気で楽しい思いをするには、重要な仕事に全力で取り組むしかない。子供が「ごっこ」の遊びをあんなに全力で楽しめるのは、子供という存在自体が大人に対する「ごっこ」の位置にあるものであって、そうであることがかれらの本職だからだ。

 

ミュータントたち(2017年6月1日の夢)

ミュータント化があたりまえになっているのは空恐ろしいことではあるが、流派ごとの制約は厳格に守られているようだ。例えば、流動化を許す流派と許さない流派がある。だが、そうした「制約」は、昨今のミュータントがいかに途方もなく大胆なものとなっているかを逆説的に示してもいるようだ。感覚の数を増減させることを禁忌としている者たちがいる一方で、個体間の境界すらあいまいにしてしまうようなミュータントも、一部ではまかり通っている。獣化など、おとなしいほうだ。

ミュータントたちの集う場所に出入りし、ミュータント・バトルを繰り広げているうちに、しかし、実態はそれほど真剣なものでもないということが、ぼんやりと、わかってきた。どうやら、「あまりにも何でもありだとつまらないから」という軽い気持ちでそうしているだけらしい。そもそも、バトルで身体が傷ついてもどうせミュータントでどうにでもなるので、本気でやってはいないようだ。

 

婚活の仕事(2017年6月1日の夢)

婚活のようなことをする職場で働いている。僕にとっては、候補の女性たちと会話するなかで適切な相手を選ぼうとする活動であると同時に、“お客様”である女性をもてなす仕事でもある。僕なりに一生懸命やっていたし、評判も悪くないはずだった。

しかし、知らないうちにかなり早い段階でアンケートが行われており、僕については全ての女性が「可能性を感じない」と回答していた。その理由は、婉曲的な定型表現で書かれてはいたが、要は、「フリーターだから」ということだった。

それなら、いくら愛想をふりまこうが、その場では仲良くなろうが、なにもかも無駄だったわけだ。失望と憤りを覚えたが、同時に、「本人のためを思ってあえて伏せておいたのだ」という言い分も、わからなくはない。可能性があると思っていたからこそ、この仕事を楽しく続けてこられたのだ。一般的に見ればわずかな収入にしかならない仕事かもしれないが、僕にしてみれば、これで生活の糧を得ている。

英国におけるハンガー(衣紋掛け)の発達(2017年5月31日に見た夢)

疑問符状の鉤を取り付けた横木だけのものから、その両肩の部分に紐を巻いたもの、さらに、紐で数本の細長い板を括ることで縦に厚みを加えたものへと発達した。

このころ、ロンドンの街路では、仕立て屋の目印として軒先にハンガーを吊るしてある光景がしばしば見られた。

考えるだけ無駄なこと

昔、「ネクラ」という言葉があったが、最近聞く「陰キャ」というのは、また同じ概念が別の言い方で復活したのだろうか。

 

「明るいか暗いか」なんてことを気にしてる時点で、その人は本当に「明るい」人ではない。

同様に、「スクールカースト」なんていうくだらないことを考えるようなやつは、仮にそんなものがあったとしても、「カーストの最上位」には入れないだろう。

あるいは、「目下の者に尊敬されたい」などとみみっちい願望を抱く人間は、決して誰からも尊敬されない。

 

「明るい性格」とか「尊敬される人物」というのは、それを言う人自身に適用することのできない概念だと考えたほうがいいだろう。

 

邪悪な職場

葛城ミサトさんのような制服に身を包んだ女性が甲板をウサギのぴょんぴょん跳び*1で出勤してくる。巨大な海底基地のような戦艦だが、軍の一部ではないらしい。一般の人類に害なす目的を持った謎の組織で、全容を把握している者は内部にすら1人もいないかもしれない。生物兵器や巨大ロボットなどの邪悪な計画が進行しているらしい。大きなプールもある。もともと込み入った物語であることに加えて、目が覚めたときにはすでにごく断片的にしか内容を覚えていなかったので、ここでもぼんやりした記述しかできないのが残念だ。この組織の複雑怪奇さは、仕出し弁当のおすそ分けが誰のもとに行き、誰のもとに行かないか、といった点にも反映される。皮膚疾患のように見える哀れな実験体が、実は、組織の幹部だったりもする。その男は立ち上がって、ぼくらがいる部屋から出ると、外から鍵をかけてしまう。そのように不明瞭な人事システムで、染谷将太のような顔をした青年パイロットは、ある日突然、点呼のときに無視されてしまい、憤慨して抗議している。組織の秘密の何を知り、何を知らないでいるか。どの立ち位置を選択するのか。さりげない解雇の理由は、たいてい、そのようなものだ。パイロットというのはこの組織ではバイトのような周縁的な存在なので、なおさらそういう扱いになる。
この戦いにおいては古来の日本神道の力も重要な要素となっている。重力場を狂わせるか何かする大規模兵器が上空から街に投下されるとき、それに対抗する儀式が、一見無関係に見える別の場所で執り行われている。縁側に大きく開けた板敷の広間で、神主は何かを待ち受けている。これを演じるのは木村拓哉なので、やたらかっこいい役どころになっており、衣装も派手だ。その「何か」は、水平線の向こうから押し寄せてくる光輝く大量の海の幸だった。
定刻になると、甲板をウサギのぴょんぴょん跳びで退勤する。そういう決まりなので、ぼくのようなおっさんもやはり、ぴょんぴょんする。

*1:しゃがんだ状態で両足をそろえて小さく跳びながら前進するいわゆる「うさぎ跳び」ではなく、もっと軽快な動き。

今日の夢

かくれんぼまたは鬼ごっこを発展させたようなゲームをしている場面。

80年代か90年代のビデオテープを見ている場面。そのなかにはフリッパーズギター出演のCMもあった。

本かゲームソフトか何かを買おうとして、お金がなくて、連れの女性に1000円貸してもらう。